著者の人生~落ちこぼれ東大合格まで~3 幼少期

また、祖父の家が、果樹園をやっていたため、夏休みや冬休みになると従妹たちと祖父の家に集まって果樹園を一緒に手伝ったり、木に登ったり、沢蟹をとったり、死ぬほど遊んだ。ゲームや娯楽はあまりというかほぼなかったが、子供ながらにただただ楽しかった。

だいぶ野生的な生活をしていたからか、スポーツはそこそこではあるが万能だった気がする。

区の水泳大会の常連だったし、野球、サッカー、体操一通りのことは大体できた。

肝心の勉強については、4年生の時、すでに塾に入っていた兄の影響を受けて塾に入った。

そこで、一つの課題にぶつかる。学校が退屈なのだ。3年生くらいから少しずつ感じてい

たが4年生で塾に行ってから決定的になった。

算数、国語、理科、社会、なぜこんな簡単な問題をやるのに自分は付き合わなければいけ

ないのか、暇で暇で耐えられなかった。当然小学校の試験はほぼ100点だったのだが、通知表の成績は悪かった。先生曰く、お前は授業態度が良くないからということ。

そこも全く理解できなかった。課題が早く終わってしまって、ただ暇そうに待っているのがだめなのか、それとも最後の方はあまりに暇すぎて塾のテキストを多少やり始めてしまったのがまずかったかよくわからなかった。

一方で、体育や図工などの時間は楽しかった、休み時間とそれらの科目のために学校に

行っているに等しかった。正直小学校で習うカリキュラムだけであれば3年いや2年で十分だと今でも感じでいる。あと4年間何かほかのことにつかえばよかったと本当に思っている。日本になぜ飛び級制度がないのか。非常に疑問であり、そういったモチベーションから他国の飛び級制度や、日本にいながら疑似的に飛び級ができる方法について、別途考察をしたいと思う。

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